明石家さんまの息子にちかの現在は?ボスって?大竹しのぶとの馴れ初めは?
明石家さんまと言えば、前妻である大竹しのぶとの間に2人の子供がいるが、娘のIMALUは現在タレントとして活動している為、話題に上がる事も多いが、以外にも息子が居る事はあまり知られていないようだな。
今回は、明石家さんまの息子にちかの現在や、息子に『ボス』と呼ばせているという噂、大竹しのぶとの馴れ初めを調べてみたぞ。
【目次】
プロフィール
引用元:https://m.huffingtonpost.jp/entry/yoshimoto-sanma_jp_5d3e45dde4b0ef792e0e5049
- 本名 : 杉本 高文
- 生年月日 : 1955年7月1日
- 出身地 : 和歌山県
- 血液型 : B型
- 身長 : 172㎝
1974年に笑福亭松之助に弟子入りをして、落語を始めたものの、落語よりも漫談のほうが向いていると言われ、転身する。
1976年にテレビデビューを果たすとみるみるうちに頭角を現し、東京へ進出する。
1980年には『俺たちひょうきん族』の放送が始まり、ビートたけしやタモリと肩を並べお笑いビッグ3としてお笑い会を引っ張る存在となる。
プライベートでは、ドラマの共演をきっかけに大竹しのぶと1988年に結婚し、2人の間には長女IMALUが誕生した。
だが、1992年には離婚を発表し改めて記者会見を開き笑のある離婚会見となった。
その後2人の関係は良好で、テレビでも大竹しのぶの事をネタとして話したりする姿がよく見られる。
明石家さんまは、1970年後半から現在もずっとテレビに出続け、活躍している国民的お笑いスターである。
明石家さんまと大竹しのぶの馴れ初めや離婚理由は?
引用元:https://news.livedoor.com/lite/article_image_detail/7467716/?img_id=4451363
明石家さんまと言えば、元妻である大竹しのぶと、離婚後の今も仲が良い姿が見られるが、そもそも、2人の出会いの馴れ初めや離婚理由は何だったのだろうか?
2人の出会いは、大ヒットドラマとなった『男女7人夏物語』で共演した事がきっかけで急接近したようだな。
当時、大竹しのぶは前夫だったドラマプロデューサーの服部晴治を胃がんで亡くしたばかりで落ち込み寝られない日が続いていたそうだ。
そんな時、夜中3時に電話しても起きて話をしてくれた明石家さんまに心が救われたみたいだな。
本当に優しい人だと大竹しのぶは語っていたそうだ。
そして服部晴治の一周忌が終わりひと段落したところで大竹しのぶは、明石家さんまと結婚する決意をした。
その理由の一つに、服部晴治との間に生まれていた息子二千翔が明石家さんまに懐いていた事が大きかったようだな。
その後1988年に結婚し、翌年1989年にIMALUが誕生した。
家族仲良く幸せに暮らしていたのだが、1992年に離婚し、4年の結婚生活に終止符を打った。
離婚理由で多く言われている事が、結婚する際に大竹しのぶが専業主婦になるという事が条件だったようなのだが、大竹しのぶは、ほどなくして女優業を再開し、すれ違いから離婚になったと言われているようだ。
大竹しのぶは、根っからの女優なのだろうな。
結婚生活よりも仕事を優先したという事だろう。
明石家さんまの息子にちかの現在は?ボスと呼ばせてるって?
引用元:https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/1208/mnn_191208_9293480261.html
大竹しのぶの連れ子である息子の二千翔は、明石家さんまの事をボスと言っているそうなのだが、何故ボスと呼ばせていたのだろう??
その理由として、『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』に明石家さんま、大竹しのぶ、二千翔、IMALUと出演した際にこう語られている。
『実の父親ではないので、お父さんとは呼びにくいだろう』
という配慮からボスとあえて呼ばせていたようだ。
確かに息子である二千翔からすると、知らない人をいきなりお父さんと呼びなさいと言われるよりボスと呼ぶ方がよっぽど気が楽だろう。
こんな経緯から、ボスと呼ぶようになったんだな。
この話を聞いた視聴者からは
・家族愛を感じる!
・二千翔がさんまを今も好きな事が伝わってくる
・二千翔はいい子に育った
などと家族の形を絶賛の声が寄せられていた。
そして現在息子の二千翔は、大竹しのぶが所属する芸能事務所エスターで働き、大竹しのぶのマネージャーやIMALUが移籍するまではIMALUのマネージャーとしても働いていたそうだ。
現在は、芸能情報総合サイトを運営しているようだな。
芸能事務所と芸能人になりたい人の橋渡しのような仕事をしているようだ。
他にもラインスタンプなども販売しているようで、仕事ぶりもなかなかのものだな。
それもそのはず、二千翔の学歴がなかなか凄い事が判明した。
引用元:https://imanat.com/woman/nichika-otake
- 名前: 大竹 二千翔(おおたけ にちか)
- 生年月日: 1985年
- 父親: 服部清治
- 義理父: 明石家さんま
公立中学から難関の高校5校に全て合格するほどの秀才だった。
そして慶應義塾大学へ進学し、アメリカで就労していたが『飽きた』という事を理由に1年半で帰国する。
それからは、大竹しのぶが所属する芸能事務所でマネージメント業務を行い、大竹しのぶやIMALUのマネージャーを務めた。
その後、芸能総合情報サイト『narrow』ナローを運営し、芸能人になりたい人をバックアップしている。
なかなか波乱万丈の人生だとも言えるが、二千翔の名前の由来でもある『二十一世紀にはばたいて欲しい』という想いはとげているような気もするな。
明石家さんまの壮絶な過去!笑顔の裏に隠された真実とは?
引用元:https://thetv.jp/news/detail/183788/
明石家さんまは、テレビを見ていても、常に面白そうに仕事をしているイメージがあるよな。
だが、そんな明るい明石家さんまの過去が壮絶!と噂になっているようだ。
明石家さんまは、和歌山県で産まれ父親、母親、兄の4人家族として幸せに暮らしていたが、さんまが3歳の頃、母親が病気で亡くなった。
それからさんまが小学生の高学年になった時、父親が再婚したようだ。
再婚相手との間に新しく子供が生まれ5人家族となりさんまは弟をとても可愛がっていたのだが、義母とはあまりうまくいっていなかったようだな。
そんな時、酔っていた義母が『自分が愛しているのは息子だけ』という事を兄と一緒に聞いてしまったようだな。
その話を聞きショックを受けたさんまは泣いてしまったそうだが、少しでも義母に認められようと、面白いことを毎日考え義母に見せていたそうだ。
3歳から母親の愛情を受けたくても受けられなかったさんまにとって、義理でも母親が出来た事は嬉しかったのだろうな。
そんな時に自分を愛してくれていない事を知ってしまったさんまは、かなりショックだったと思う。
そして義理母とはうまくいかなかったものの腹違いの弟とはその後も関係が続き、さんまが有名になって活躍しても、大阪にあったさんまのマンションに出入りし、弟もさんまを慕っていたようだ。
引用元:https://hochi.news/articles/20191103-OHT1T50113.html
だが、弟が19歳の頃実家で火災があり犠牲となってしまった。
これには明石家さんまは、かなりのショックを受け、舞台で笑いが取れなくなり芸能界引退も考えていたようだ。
そんな壮絶な過去も乗り越え今の明石家さんまがあるようだな。
義母との事で、辛い幼少期を送った明石家さんまは、大竹しのぶと結婚した際、連れ子だった息子の二千翔に対して、我が子のように分け隔てなく接していたというエピソードがある。
自分の過去と同じ想いをさせない為だったんだな。
そんな明石家さんまの過去を知って、改めてテレビを見るとまた違う見え方になるな。
まとめ
今回は明石家さんまの息子にちかの現在は?ボスって?大竹しのぶとの馴れ初めは?について調べてみたがどうだっただろうか?
明石家さんまをテレビで見ていると明るく楽しい人生をずっと送ってきたと思うかもしれないが、実は色んな過去を経験してからこその笑いだったのだな。
息子の二千翔とは血のつながりはないものの、本当の息子のように分け隔てなく育てていた事や、あえてお父さんではなくボスと呼ばせていた事など、明石家さんまの人柄がよくわかるよな。
そんな二千翔は、現在芸能総合サイトを立ち上げ立派に活躍しているのも、明石家さんま、ボスの影響が大きいだろう。