武豊と社台ファームの確執やトラブルは?最近和解したのか?
日本を代表するジョッキーで、オグリキャップのラストランや北島三郎オーナーの持ち馬であるキタサンブラックでの活躍など印象に残る活躍も多い武豊。
そんな武豊は社台ファームと確執があると伝えられている、社台ファームとはいったい何なのだろうか。
今回は武豊と社台ファームの確執やトラブル、そして和解したのかどうかについて紹介しよう。
社台ファーム、社台グループとは
引用:https://uma-furusato.com/winner_info/detail/_id_73483
まずは社台ファームについて紹介しよう、競馬に詳しいものならほとんどの者が知っているかとは思うが、競馬をあまり知らない者にとってはよくてサラブレッドの牧場程度の認識しかないと思う。
社台ファームは北海道千歳市東丘にある競走馬の生産牧場で、社台グループの一員である。
この社台グループはほかにノーザンファーム、追分ファーム、社台コーポレーションがあるが、社台グループが日本の競馬会を動かしているといって過言ではない。
もともとの成立は1955年吉田善哉が「千葉社台牧場」を千葉県富里に設立、そして1971年に「社台ファーム千歳」を北海道千歳市に設立した。
吉田善哉が1993年に他界したのを機に、長男の照哉が「社台ファーム」、次男の勝巳が「ノーザンファーム」、少し遅れて三男の晴哉が「追分ファーム」として独立。
それぞれが協力をしつつも切磋琢磨し、ほかの生産牧場と大きな差をつけている。
2017年のJRA生産者成績だが、1位のノーザンファームが賞金総額およそ145億6,000万円、2位の社台ファームがおよそ63億7,000万円、3位の社台コーポレーション白老ファームが23億7,000万円とトップ3を占めている。
4位のダーレー・ジャパン・ファームがおよそ14億1000万で続くというレベルなので、社台グループの圧倒的な力がわかるかと思う。
ちなみにダーレー・ジャパン・ファームの代表はアラブ首長国連邦ドバイの首長ムハンマド・ビン=ラーシド・アール=マクトゥーム(シェイク・モハメド)である。
これだけの力を持つ社台グループは、実際のレースでも強大な影響力を持っている、天才武豊が低迷していた時期はこの社台グループと確執ができたせいと言われている、その内容について次項で説明しよう。
武豊と社台グループに確執ができたわけ
引用:https://keiba-times.com/rose-kingdom-0001/
社台グループにより武豊が干されたという噂が流れた、その原因は2010年11月のジャパンカップで、1着だった社台グループのブエナビスタが2着になり、2着だった武豊が騎乗するローズキングダムが1着となった審議での発言が原因だという。
他にも原因として挙げられるのが2010年3月の毎日杯で、武豊が落馬したことが原因というものだ。
この時の落馬で武豊は鎖骨・腰椎骨折という重症を負った。その後リハビリを経て復帰したのがその年の10月である。
そして社台グループのヴィクトワールピサで凱旋門賞の騎乗が決まった武豊、この時馬主は武豊が乗れるなら乗せてあげたいと希望しての騎乗だったようだ。
しかし凱旋門賞で7着、その後もケガの影響か本調子が出ない武豊に対して社台グループの吉田照哉は武豊は終わったと憤慨したという。
その後も武豊は社台グループの馬で大レースに敗れ続け、武豊騎乗して勝てなかった馬を日本の短期免許で騎乗していた外国一流ジョッキーが勝利に導くということが続いた。
その後外国人騎手の日本挑戦も増え、さらにミルコ・デムーロ、クリストフ・ルメールといった一流ジョッキーが日本の騎手免許を取得し、一流馬が外国人騎手へと流れていった。
怪我や外国人騎手などを取り巻く環境の変化で勝てなくなった武豊、社台グループとの関係の悪化で悪循環に陥ったといえる。
武豊と社台グループの確執は終わった?
武豊は終わったと思うファンも増えていたと思う、しかしまた武豊が好調を取り戻している。
その顕著な例が2017年に引退した北島三郎オーナーの所有馬、キタサンブラックでの活躍だろう。
武豊の復調の陰には、社台グループとの和解したことであるともいわれている。
そもそも武豊と社台グループに確執などはなく、単純に力が衰えたと思われた武豊へ騎乗依頼をしなくなっただけという情報もある。
現在復調し、2018年1月の月間ランキングで2位に入っている武豊、2018年2月4日の東京新聞杯(G3)でリスグラシューに騎乗し見事な勝利を収めている。
リスグラシューの馬主は社台グループではないが、生産牧場はノーザンファームである。
このまま好調を持続していけば、社台グループが馬主となっている有力馬の騎乗依頼も来るかもしれない、そうなれば武豊はさらなる活躍を見せてくれるであろう。