嫁が韓国人という噂の高萩洋次郎 韓国からの移籍先FC東京でのポジションや年俸は?



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チャーリー閣下
待たせたな。貴様の希望、チャーリー閣下だ。

今季開幕前、莫大な補強費用をかけて実力のある選手の獲得を行ったFC東京の事は知っているであろう?

その中でも、元日本代表でもある高萩洋次郎が新たなポジションを与えられ新境地を開いたともっぱらの噂になっている。

しばらくの間、豪州や韓国でプレーし日本を離れていた男のJ1復帰には皆が注目していたが、どうやらこの男一回りも二回りも大きくなって日本に帰って来たようだ。

また、高萩の選手としての成長を陰で支え内助の功となった嫁についても興味が集まっている様だ。

今回は高萩洋次郎のこれまのキャリア、プライベートから年俸の情報まで、まとめて聞かせてやろう。

【高萩洋次郎】いわき出身広島育ちの天才プレイヤー

高萩洋次郎は福島県いわき市出身。

地元の公立中学に通いながら、福島県にあった日本サッカー界初のナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」のサッカースクールに通い始め、これが高萩洋次郎の転機となる。

高萩の実力をいち早く見抜いた当時のJヴィレッジ副社長高田豊治(サンフレッチェ広島の前身東洋工業の元選手)によって、サンフレッチェ広島ユース加入の誘いを受けた。

2002年16歳でサンフレッチェ広島ユースに加入した高萩は、当時の高校年代で最強とも言われた広島ユースの中心選手として活躍。

2003年11月には高校生ながらサンフレッチェ広島のトップチームとプロ契約を交わした。

これは異例中の異例の出来事であり、クラブ史上初高校生プロのJリーガーとしてその名をとどろかせる事となる。

通常、Jリーグクラブの下部組織で育成された選手は、どんなに力のある選手であってもトップチーム出場資格の2種登録選手となるケースがほとんどであり、その2種登録選手もその後全員がプロ契約を交わせる訳ではない。

高萩の才能がいかに凄いものであったのか、このエピソードはそれを如実に現わしている。

恐らく、サンフレッチェ広島は半ば青田買いと意味でも高萩とのプロ契約を早く結んでしまいたかったのであろうな。

【高萩洋次郎】広島での成長と挫折

天才プレーヤーとしてもてはやされた高萩であったが、当時のサンフレッチェ広島監督ミハイロ・ペトロビッチに主力としての評価を受けて以降、その天才的なテクニックと独特な感性でチームへの貢献の幅を広げていく。

2010年にはナビスコカップのニューヒーロー賞を受賞。

2012年にはリーグ戦全試合出場の偉業を遂げ、サンフレッチェ広島のJ1初優勝に大きく貢献した。

そして2013年にはエース番号である背番号10を背負い、日本代表に初選出され東アジアカップに出場。

日本代表においても随所のその才能の片鱗を見せた。

ここまで順調にサッカー選手としての成功の道を歩んできた高萩であったが、その挫折は突然にして訪れる。

2014年ワールドカップブラジル大会に出場する日本代表メンバーから落選したのだ。

この時、高萩洋次郎は27歳。

サッカー選手として一番良い年代でのワールドカップメンバー落選はかなりショックであったに違いない。

しかし、高萩はここからサッカー選手としての更なる成長を目指し自らの居場所を変える決断をするのであった。



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【高萩洋次郎】豪州からソウルへの成長の旅 在日韓国人嫁の内助も

2015年、高萩は新天地として前年のアジアチャンピオンズリーグ(ACL)王者である豪州のウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCでのプレーの道を選んだ。

ラグビー選手のように大きな体格の選手もプレーする豪州リーグで、自分のプレーの幅を広げる事が目的の移籍であった。在籍期間は半年足らずであったものの、この豪州での経験が高萩を次の舞台へといざなうきっかけともなる。

ウェスタン・シドニー在籍時にACLで対戦したFCソウルの崔竜洙監督の希望で2015年6月にソウルへ完全移籍する事となる。

実は高萩に2010年に在日韓国人の女性と結婚をしていた。

この女性の名前は文里奈(ムン・リナ)さん。

職業は作詞家で、韓国の芸能事務所との仕事でも名の通った人物である。

高萩がサンフレッチェ広島でその地位を不動にする前に2人は出会い、そして結婚をした。

そして、高萩が自身の更なる成長を求めての海外挑戦でもこの伴侶があってこそ出来た事であったのだろう。

恐らくFCソウルへの移籍に際しては、特に内助の功があったに違いない。

そして、FCソウルでの高萩洋次郎の挑戦は成功する。

韓国FAカップではチームの優勝と共に、日本人選手としては初めてのMVP選手という栄冠を受けたのだ。

韓国には高萩の様な独創的な感性を持った選手は少ないが、フィジカルが強く激しい競り合いなどについては非常に厳しいリーグである。

FCソウルに在籍した2年弱の間に高萩は自らの個性を出しつつ、韓国サッカーの強みである球際での戦いやボール奪取力などが格段に向上したと言われている。

これは高萩の挫折からの挑戦が成功した証でもあったのだな。

【高萩洋次郎】FC東京でJリーグ復帰 その年俸は推定5000万

FCソウルでの契約期間を残しつつ、高萩洋次郎はFC東京のオファーを受けJリーグに復帰した。

推定年俸は5000万円。

これは2014年にサンフレッチェ広島を退団した時の年俸を僅かではあるが上回っている。

少し遠回りしたかも知れないが、高萩は確実に自らの価値を上げて帰ってきたのだ。

そして、FC東京が高萩に任せたポジションはボランチ。

守備的ミッドフィールダーである。

サンフレッチェ広島在籍時には主に攻撃的なポジションで起用されていた高萩に、この2年間の海外経験が新しい武器、守備能力を身につけさせたのである。

高萩も含め大型補強を敢行した2017シーズンのFC東京は今苦しみの最中にある。

名だたる選手を揃えながら、結果がなかなかついてこないのだ。

そんなチーム状況の中で、高萩洋次郎は与えられたミッションを淡々とこなしている。

明らかに高萩という選手は変わった。

これは、Jリーグを見てきたサポーター、ファンの共通の認識である様だ。

来年2016年にはワールドカップが開催される、もしかしたらロシアのピッチには31歳になった高萩洋次郎が立っているかも知れぬ。

成長した高萩洋次郎の姿を皆も是非見てくれたまえ。

チャーリー閣下
それでは失敬する。また会いに来てくれたまえ。手土産などは気にする必要はないぞ。ハッハッハ


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