藤原竜也が蜷川幸雄へあてた弔辞の憎しみとは?舞台のエピソードや関係は?
2016年5月12日に演出家の蜷川幸雄が亡くなったことは、日本中に大きな衝撃を与えたことであろう。
そんな中、藤原竜也が蜷川幸雄に向けた弔辞が話題を呼んでいる。
15歳で蜷川幸雄演出による舞台で芸能界デビューを果たした藤原竜也。
彼の口から語られた「憎しみ」とは一体なんなのか?紐解いていくこととしようではないか。
藤原竜也と蜷川幸雄の出会い
引用元:https://matome.naver.jp/odai/2146343752594705001/2146344363199300903
藤原竜也はもともと芸能界に興味があったわけではないようだ。
サッカーに明け暮れていた藤原竜也が芸能界に足を踏み入れるきっかけとなったのは、池袋でスカウトされたことであった。
当時、蜷川幸雄演出の舞台『身毒丸』のキャストを池袋で募っていたというから驚きであるな。
偶然そのチラシを受け取った藤原は、演技に対してたいした興味も持たない状態でオーディションを受けることになったようだ。
しかし、5537人の中から勝ち抜き、藤原竜也は見事主役に抜擢されたというから驚きだ。
こうして、「世界の二ナガワ」と呼ばれた蜷川幸雄の元で、地獄のような稽古が始まったという。
ものが飛んでくるのは日常茶飯事
蜷川幸雄の演技指導は非常に厳しいことで知られているが、当時演技に関してはずぶの素人であった藤原は、その容赦ないダメ出しに恥ずかしい思いをし、悔しい思いをし、涙に明け暮れていたというから、その厳しさが目に浮かぶようだな。
蜷川幸雄の演技指導では、ものが飛んでくるというのは日常茶飯事。
まったく演技に興味がない中、毎日厳しすぎる稽古で精神をすり減らしながら、藤原は必死の思いでついていったのであろう。
しかし、藤原のすごいところは、ずぶの素人から、上演後には話題沸騰、注目の新人としてもてはやされるほどになってしまうその実力である。
引用元:https://www.webdice.jp/dice/detail/2394/
あまりの話題に、舞台は日本だけでなく、ロンドンでも公演された。
まだ15歳であったというのに、藤原竜也はその舞台で圧倒的な存在感を見せ、実力を世界という舞台で知らしめたのである。
しかし、腰痛に苦しめられ、ロンドン公演の千秋楽では昼公演を代役が演じるという事態に。
蜷川幸雄としては、藤原の腰痛の具合から、夜も代役になるだろうと踏んでいたが、藤原本人はどうしても出たいと直訴し、夜公演は腰痛に苦しめられながらも本人が出演したという。
その時の藤原の様子を、蜷川幸雄は「一生忘れられないほど」だと語っている。
厳しい演技指導や毒舌で知られる蜷川幸雄にここまで言わせる藤原竜也もまた、天才であることに違いないであろう。
15歳の天才新人と評されたのも納得できるエピソードであるな。
蜷川幸雄への弔辞
引用元:https://www.cinematoday.jp/news/N0082677
そんなこともあり、藤原竜也は蜷川幸雄に育てられたと言っても過言ではない。
そんな中、2016年5月12日に伝えられた蜷川幸雄の死は、藤原竜也にとって非常に大きな衝撃であったであろう。
その証拠に、数多くの著名人がコメントを寄せる中、藤原竜也だけはコメントすることができなかったと言われている。
あまりのショックに、コメントが出せる状況ではなかったと言うことであろう。
藤原竜也が蜷川幸雄への言葉を贈ったのは、蜷川幸雄の死後4日経った、告別式の日であった。
そこで藤原竜也は弔辞を読み、長年の思いを蜷川へ伝えたのである。
1997年、蜷川さん、あなたが僕を産みました。奇しくもきのうは僕の誕生日でした。19年間、苦しくも…、まぁほぼ憎しみしかないですけど、最高の演劇人生をありがとうございました。蜷川さん、それじゃあまた。
引用元:https://www.mercurich.com/last-message/
この言葉にもあるように、藤原竜也は1997年の『身毒丸』によって産み落とされ、以来長い間、芸能界で実力派俳優としてその名をとどろかせている。
ずぶの素人であった藤原を主役に起用し、「一生忘れられないほど」と語るまでに藤原竜也を成長させたのは、他ならぬ蜷川幸雄であろう。
もちろん、厳しすぎる稽古に必死で食らいついていった藤原似も目を見張るものがあるが、こうしてこの2人の間には、目には見えない強い絆が生まれていったのであろう。
藤原がどれほど蜷川幸雄に信頼を寄せ、思いを寄せていたかということは、弔辞で伝えられた次の言葉からも分かる。
もっと苦しめ、泥水に顔をツッコんで、もがいて、苦しんで、本当にどうしようもなくなったときに手を挙げろ。その手を俺が必ず引っ張ってやるから
引用元:https://www.mercurich.com/last-message/
蜷川幸雄は厳しいダメ出しで有名で、その言葉には藤原竜也も心が折れたと言う。
しかし、そんなダメ出しの中にも、蜷川幸雄にしか伝えられない愛のムチがあったことであろう。
藤原が何度も心折れながらも俳優を続けてこられたのには、蜷川のこの言葉があることは言うまでもなかろう。
そんな蜷川幸雄の突然の訃報に、すぐにはコメントが出せないほど打ちひしがれてしまった藤原の胸の内を考えると心が痛むが、それほどまでに厚い信頼で結ばれていた2人ということでもあるな。
厳しい愛のムチを「ほぼ憎しみしかない」と告げる藤原竜也の言葉には、愛して止まない蜷川幸雄への深い愛情が感じられる。
弔辞の最後を「さようなら」ではなく、「じゃあまた」で締めくくっているあたり、藤原竜也の未練が伝わってくるが、非常によい弔辞ではなかろうか。