スピッツの名曲、チェリーの歌詞の解釈と意味について
日本を代表するロックバンド・スピッツと言えば、ボーカル草野マサムネの透明で優しい声と、代表曲「ロビンソン」や「チェリー」のような、柔らかで可愛らしいイメージが強いのではなかろうか?
スピッツの楽曲には意外とロックなものも存在し、ライブでの演奏は圧巻であるが、世間一般的には、スピッツは地味で大人しい印象であろう。
そんなスピッツの代表曲の1つ「チェリー」について今日は見ていこうではないか。
「チェリー」の意味するもの
引用元:https://www.spitz-magic.net/entry/2016/06/09/120000
スピッツの名曲「チェリー」は、淡い初恋を思わせるような、爽やかな曲である。
それ故に、タイトルの解釈は大半が「桜」「甘酸っぱい初恋」など、言葉から連想される素直なイメージを抱く人蛾多いようだな。
しかし一方で、「チェリー」は童貞の曲であるとか、ラブホテルの曲であると言った解釈もあるぞ。
理由は明快で、チェリーの俗語的な意味合いにそれがあるからである。
また、スピッツがミュージックステーションに出演した際、司会者のタモリから「チェリー」の由来を尋ねられ、冗談で「チェリーボーイ」と答えていることも理由の1つであろう。
では、「チェリー」の歌詞を見ていこうではないか。
終わった恋の予感
「チェリー」が失恋を表しているであろうことは、歌い出しの歌詞から分かる。
君を忘れない 曲がりくねった道を行く
引用元:https://sp.uta-net.com/song/9073/
これだけで、すでに「君」との恋は終わっていることが分かるであろう。
そして、これから「僕」が進む道は曲がりくねっているのだから、難しい現実や予測不可能なことが起きる未来を象徴している。
二度と戻れない くすぐり合って転げた日
引用元:https://sp.uta-net.com/song/9073/
という歌詞が続くことから、2人の関係はすでに解消されていて、戻りたくても戻れない関係であることが分かるな。
ちなみに、最後のサビでは、
ささやかな喜びを つぶれるほど抱きしめて
引用元:https://sp.uta-net.com/song/9073/
という歌詞が登場する。
つまり、「僕」にとって「くすぐり合って転げた日」がささやかな喜びであり、幸せな日々の象徴しているのであろう。
引用元:https://ameblo.jp/f06y01/entry-12260793094.html
しかし、「チェリー」は童貞喪失の曲だという解釈もあり、これはチェリーにそういった意味があるからだが、解釈によってこの2人の関係は微妙に変わってくる。
淡い初恋をした「僕」が君に恋をし、付き合うことができたものの別れてしまった。
しかし、甘く幸せな日々を忘れることができず「君を忘れない」と歌っている、と取ることもできよう。
しかし、童貞喪失の意味があった場合、「君を忘れない」というのは、すでに2人が男女の仲にあり、君の身体を忘れられない「僕」という解釈もできるのだ。
そうした場合、「くすぐり合って転げた日」というのは、単純にじゃれていた2人ではなく、ベッドの上での行為と取ることもできよう。
特に、「僕」にとって「君」が初めての人であったのならば、忘れられないのは当然のことである。
失恋から新しい季節へ
「チェリー」は全体を通して、メロディーの構成は単純である。
サビまでのメロディーと、サビに来て展開する「『愛してる』の響きだけで」からのメロディー。
そんな中、この部分だけは様子が少し違っているぞ。
どんなに歩いても たどりつけない 心の雪でぬれた頬
悪魔のふりして 切り裂いた歌を 春の風に舞う花びらに変えて
引用元:https://sp.uta-net.com/song/9073/
「心の雪」とは涙であろう。
どんなに歩いてもたどりつけないのは、失恋から立ち直る術であろうか、それとも別れに至った己の過ちであろうか。
結局「僕」が「君」を忘れられないのは、失恋から一歩踏み出すことができない、または何が原因で2人の関係が解消されてしまったのか、自分自身が理解できていない可能性もある。
引用元:https://mizuame-wataame.hatenablog.com/entry/2017/07/02/172920
「悪魔のふりして切り裂いた歌」とは、抽象的ではあるが、何かしら「君」を傷つける言葉をぶつけてしまった過去の発言ではなかろうか。
それが原因で関係が壊れてしまったかどうかは定かでないが、「春の風に舞う花びらに変え」るのだから、いよいよ失恋から立ち直り、新たな一歩を踏み出そうとしているように見えるな。
だからこそ、以下の歌詞のように、騒がしい未来が待っている(はず)なのであろう。
きっと 想像した以上に 騒がしい未来が僕を待ってる(1番)
今 せかされるように 飛ばされるように 通り過ぎてく(2番)
引用元:https://sp.uta-net.com/song/9073/
過去を捨てきれない弱さ
「チェリー」の最後は、以下のように締めくくられている。
ささやかな喜びを つぶれるほど抱きしめて
ズルしても真面目にも生きてゆける気がしたよ
いつかまた この場所で 君とめぐり会いたい
引用元:https://sp.uta-net.com/song/9073/
「ささやかな喜び」は「君」との日々、それをつぶれるほど抱きしめるというのはどういった心情であろうか。
人によっては、2度と戻らない辛い思い出だから、いっそのことつぶしてしまいたい、という願望だという捉え方もあるぞ。
しかし、つぶれるほど抱きしめるというのは、「思わずつぶれてしまうほどきつく抱きしめる=非常に大切にしている」と解釈することもできよう。
つまり、つぶれるほど力一杯抱きしめてしまうほどの思い出を抱えたまま、しかしそれを捨てることもできないまま、「僕」はこれから先の「騒がしい未来」を生きていこうとしているのではなかろうか。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=Eze6-eHmtJg
「ズルしても真面目にも生きてゆける」ということは、生きていくことは困難であるけれども、どうやってでも懸命に生きていく、というメッセージにも取れる。
しかし「いつかまた この場所で 君とめぐり会いたい」と締めくくっていることから、やはり「君」を忘れられてはいないのだ。
つくづく、「僕」の弱さが際立つ曲であるな。
もう1度君に会うというのが現世のことなのか、生まれ変わった時のことなのかは分からないが、「僕」の中で「君」との再会が夢となっていることは確かであろう。
解釈によって、失恋ソングとも応援ソングとも取ることができる「チェリー」だからこそ、多くの人の心に刺さる名曲となったのであろうな。