藤井聡太の子供の頃の写真や遊んだおもちゃは?子供名人戦では?
史上最年少でプロ棋士となり、前人未到の無傷の29連勝で衝撃のデビューを果たした藤井聡太。
そんな藤井聡太は子供のころはどんな少年だったのだろうか、そして藤井聡太が遊んだおもちゃにはどのようなものがあるのか。
子供名人戦での様子とともに紹介しよう。
藤井聡太の子供のころの写真
引用:https://cocoa-march.com/10402.html
藤井聡太の子供時代の写真を紹介していこう。これは将棋教室に通っていたころの藤井少年である。
藤井聡太が通っていた将棋教室の名前は「ふみもと将棋教室」の瀬戸支部で、藤井聡太が5歳のころから通い始めたという。
通常の将棋の指導のほか、詰将棋の盤面を見せずに口頭で駒の配置を言いそれで詰将棋を解かせるという難しい課題もさせているのが特徴。
詰将棋が得意な藤井聡太のルーツはここになるのかもしれない。
引用:https://www.sankei.com/west/news/170621/wst1706210038-n2.html
大人が使う大きなセンスを満面の笑みで広げている藤井聡太少年の写真である。
この扇子は羽生善治が書いた「宝蔵」という文字のものである、おそらく直筆ではないと思うが、当時の藤井聡太のあこがれの存在だったのかもしれないな。
引用:引用:https://hgrmtl.com/3408.html
これは4歳年上の兄と撮影した写真である。兄はのんびりとした藤井聡太の性格とは逆のちゃきちゃきとした性格とのことだ。
好みも全く別で数字など細かいことが好きな藤井聡太と違い、おおらかな性格だという。
引用:https://hgrmtl.com/3408.html
この写真は藤井聡太が祖父と将棋を指していた時のもpのだ。
ゲームや勝負事が好きだった藤井聡太に5歳の時将棋を買い与えたのが祖母で、すっかり将棋にはまった藤井聡太は祖父や祖母と将棋を指していたという。
藤井聡太が遊んでいたおもちゃは?
スタディ将棋
藤井聡太が幼少期に遊んだおもちゃの1つがこのスタディ将棋である、前述した祖母が買い与えたそうだ。
個の将棋の駒には駒の名前のほかに進む方向が書かれている、まだ文字が読めない子供でも将棋が理解できるというおもちゃだ。
スタディ将棋は藤井フィーバーが起きるとともに人気商品となり、かなりの売れ行きを見せているそうだ。
文字が読めない子供だけではなく、駒の動きを覚えるのが苦手という者も使うことができるな。
海外の普及で漢字を読めない者も利用できるように同じようなものが使われることがあるようだ。
キュボロ
ドイツ発祥の知育おもちゃのキュボロを藤井聡太は3歳のころから遊んでいたという。
このおもちゃは溝や穴があいた積み木を並べて、上からビー玉が転がして下まで到達させて遊ぶおもちゃである。
ピタゴラスイッチのようなおもちゃだな、集中力や計算力、三次元の構造や論理的な思考を養う知育玩具として知られている。
子供名人戦での藤井聡太
小学生将棋名人戦こと子供名人戦は、1976年にスタートし羽生善治や藤井聡太に初めて土をつけた佐々木祐勇気などそうそうたるメンバーが優勝経験がある。
藤井聡太と同じく中学生棋士となった渡辺明、タイトルホルダーの佐藤康光、森内俊之、屋敷伸之といったメンバーも出場経験があり、小学生の将棋大会として最大のものである。
準決勝と決勝は渋谷のNHK放送センターや将棋会館で行われNHKにより収録されテレビ放映されるので、将棋ファンなら見たこともあるのではないだろうか。
さて、天才少年藤井聡太の子供将棋名人戦での結果はどうだったのだろうか。
実は藤井聡太は将棋子供名人戦で本戦に出場したことがない、参加したのは小学3年時でこの時は愛知県予選で敗退をしている。
小学4年生時にはすでに奨励会に入会しており、将棋子供名人戦には参加していない。
それは奨励会員は、小中高校生の大会を含むアマチュアの将棋大会に出ることが禁止されているという規約のためである。さすがの藤井聡太も小学3年生で県予選を突破することができなかったというわけだな。
もし奨励会の入会が遅ければ子供将棋名人戦で優勝していたかもしれないが、それだと最年少でのプロ入りがなかったかもしれない。