スピッツの名曲、楓の歌詞の意味と解釈は?
今年で30周年を迎えるスピッツは、ボーカル草野マサムネが描き出す独特の世界観が魅力のロックバンドである。
引用元:https://www.spaceshowertv.com/program/special/spitz_sp.html
草野の透明なボーカルとバンドサウンドが心地よく、決して派手なバンドではないものの、確かな存在感を静かに示していると言えよう。
そんなスピッツの名曲と言えば、必ずと言っていいほど挙げられるのが「楓」であろう。
美しい旋律と切ないメロディが、一度聴いたら耳を離れない。
では、そんな「楓」の歌詞には、一体どのような意味が込められているのであろうか。
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スピッツの定番曲
「楓」は、19枚目のシングル「楓/スピカ」として発売された。
さらにオリジナルアルバム「フェイクファー」にも収録されているぞ。
引用元:https://otokake.com/matome/7Onbaj
シングルというだけあって、メロディや歌詞の美しさがいつまでも耳に残り、スピッツファンならずとも有名な楽曲の1つであろう。
この曲はスピッツの中では比較的意味が分かりやすいのも特徴であるな。
草野自身は歌詞の意味について明言を避けており、聴き手によって違って構わないというようなことを言っているが、自由に解釈するとどのような曲になるであろうか?
男女の別れ=死別?
「楓」は、サビの歌詞から分かるように、男女の別れを歌っている。
彼女と過ごした幸せな日々を思い出しながら、2度と叶わない再会を悲しんでいるようにも取れるな。
さよなら 君の声を 抱いて歩いていく
ああ 僕のままで どこまで届くだろう引用元:https://sp.uta-net.com/song/10397/
この歌詞から、記憶の中で生きている「君」の声を抱きながら生きている、今の「僕」を想像することができよう。
彼女のことを胸に抱えた「僕」のままで、この先どこまでやっていけるかという不安とも取れる部分である。
さて、男女の別れには死別と通常の別れがあるが、歌詞だけではどちらの別れ方をしたか確定できる要素はない。
しかし、おそらく死別ではなかろうかと考えられるのは以下の箇所である。
風が吹いて飛ばされそうな
軽いタマシイで
他人と同じような幸せを
信じていたのに
引用元:https://sp.uta-net.com/song/10397/
ここで歌われている「軽いタマシイ」とは、人によっては今にも消えそうな儚い命、という解釈もあるが、「僕」自身が他の人ト何ら変わらない、ありふれた男であったことを表現しているように思われる。
引用元:https://otokake.com/matome/7Onbaj
今という時間をしっかりと踏みしめ、揺るぎなく生きているのではなく、風に吹かれたら簡単に飛ばされてしまいそうな、つまり揺らいでしまいそうな意思の弱さを思わせるのだ。
そんな、自分というものを強くもたない、日々をなんとなく生きているような「僕」が、ぼんやりと思い描いていた当たり前の幸せが、ある日突然壊れてしまった、そんな儚さを思わせる部分である。
では、人と同じ幸せ=ありふれた幸せが壊される事態とは何であろうか?
それは事件であったり事故であったり、はたまた病気であったりするのではなかろうか。
少なくとも、彼女や「僕」の力ではどうにでもできない、運命とも言えるべく残酷な別れであったのではなかろうかと思うのだ。
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遠い日の記憶
また、「楓」の中では、彼女との過去を振り返るような歌詞も登場する。
心のトゲさえも 君が笑えばもう
小さく丸くなっていたこと引用元:https://sp.uta-net.com/song/10397/
これは彼女といれば、トゲトゲしていた心も穏やかになれた、というような意味であろう。
彼女と過ごす時間が「僕」にとってどれだけ平穏で大切なものであったかが窺える。
さらに、
探していたのさ 君と会う日まで
今じゃ懐かしい言葉
ガラスの向こうには 水玉の雲が
散らかっていた あの日まで
引用元:https://sp.uta-net.com/song/10397/
という歌詞から、「僕」が彼女と出会うまでの時間と、彼女と出会ってからの時間で、大きな変化があったことも予想できるな。
「今じゃ懐かしい言葉」というのは、何やら愛を囁く言葉であろう。
彼女と出会うまではそんな言葉(愛)を探し続けていたが巡り会えた、しかし彼女はいなくなってしまい、その言葉を伝える相手はもういなくなってしまったから懐かしい言葉になってしまった、という解釈ができよう。
そして、「水玉の雲が散らかっていたあの日」という表現から、彼女と出会った季節が分かる。
どうやら、水玉状の雲ができるのは秋であるらしく、またタイトルになっている「楓」も秋を象徴する植物であるためだ。
彼女と出会った季節を、1つの風景として記憶しているところに、以下に大切な出会いであったかが窺える部分である。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=YapsFDcGe_s
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これからも彼女を忘れることはない
サビで歌われているように「君の声を抱いて歩いていく」ということから、「僕」がこれから先も、彼女を忘れることなく生きていくことが分かる。
ただし、「これから 傷つけたり 誰か 傷つけても」という歌詞から分かるように、彼女を忘れず生きていくことへの迷いや罪悪感もくみ取ることができるぞ。
これから先も生きていかなくてはならない「僕」は、よほどのことがない限り、他の女性と結婚する可能性も十分にありうるのだ。
好きな人を忘れられないからと言って、一生独身を貫くことはかなりの忍耐力を要する。
であるから、今後「僕」が違う誰かと恋をし、家庭を持っても何ら不思議ではない。
そんな時、心の隅に「君」を忘れられない「僕」が傷つけるものは、将来の妻はもちろん、その家族や自分の家族などであろう。
愛を誓いながら、自分が本当に愛しているのが今は亡き「君」であるならば、それは裏切り行為であるからだ。
だから「僕のままで どこまで 届くだろう」と歌っているのではなかろうか。
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後追い自殺の可能性
瞬きするほど長い季節が来て
呼び合う名前がこだまし始める
聴こえる?
引用元:https://sp.uta-net.com/song/10397/
「楓」の中で引っかかる歌詞に、このようなものがある。
彼女がすでに死んでいるのであれば、呼び合う名前がこだまするはずはなく、「聴こえる?」と呼びかけていることから、「僕」が彼女を追って死を選ぶのではないか?という解釈もあるぞ。
「瞬きするほど長い季節」という表現も、瞬きという一瞬と「長い季節」が矛盾していることから、すでに「僕」は死んでいて(もしくは死んでしまう)時間の流れがなくなるから長く感じるのだという考えもある。
引用元:https://pixabay.com/
しかし、こう考えることもできるぞ。
あまりに長い時間が過ぎたので、思わず瞬きしてしまった、それほどの時が流れた、という解釈だ。
しかし、すでにいない君と名前を呼び合いこだまするというのは、やはり不気味な表現であろう。
もういない人に「聴こえる?」と呼びかけていることから、精神的な不安定さを彷彿とさせる部分でもあろう。
「楓」の持つ、死や自殺、精神面での不安定さや恋人を失った悲しみが、この曲の持つ独特の悲しさを生み出し、長年にわたり愛されるゆえんなのではなかろうか。
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