ゆず北川悠仁の母親は宗教かむながらのみちの教祖?

2019年7月30日

ゆずはリーダーの北川悠仁、サブリーダーの岩沢厚治からなるフォークデュオである。

1997年に「夏色」でメジャーデビューを飾り、今年絵20周年を迎える、国民的にも認知度・人気ともに申し分ない。

そんなゆずだが、北川悠仁には何やら宗教関連の噂が絶えないようだな。

では、その理由について詳しく見ていこうではないか。

 

母はかむながらのみち教祖?

 

かむながらのみちとは、簡単に言えば、日本で伝統的に信仰されてきた、自然と共生し、祖先を大切にするという考え方をアレンジしたようなものである。

本部を横浜とし、北海道や富山、奈良や神戸の他、東京や名古屋にも拠点を広げているぞ。

教祖は北川悠仁の母・北川敬子(北川慈敬)である。

引用元:https://itihaya-ibento.click/

実母が宗教家であるということは、ファンの間でも知られた事実で、ゆずの黒歴史と言われてもいるぞ。

アナウンサーの高島彩と結婚し子供を設けている北川だが、その挙式が行われたのも母親が教祖であるかむながらのみち所縁の土地であることで話題となったな。

母親の北川敬子は、1948年・解脱会に入会し、布教活動を始めた。

しかし、息子のスキャンダルをきっかけに解脱会を離れ、その後、かむながらのみちを立ち上げているぞ。

自己啓発セミナーで資金を集めたり、ETLジャパンを立ち上げるなど、ビジネス面でも活躍している。

現在はかむながらのみち一本であるが、信者の数は1000人を超えるなど、規模はかなり大きいようだな。

 

解脱会脱会の発端

 

引用元:https://geinou-9.jp/yuzu-kitagawa-yujin/

 

北川敬子は1948年から解脱会に入っていたが、1999年に息子の北川悠仁が、過去にVシネマ俳優として作品に出演していたことが発覚。

Vシネマでは衝撃的な事件であった女子高生コンクリート詰め事件などを取り扱っており、北川自身も女性の下着を集める男を演じていたことなどから、解脱会で問題視され、母の敬子は脱会を決意したようだな。

しかし脱会から3ヶ月で自ら宗教を立ち上げるとあり、彼女自身のカリスマ性やビジネスの才能などは飛び抜けていたことであろう。

新たに立ち上げたかむながらのみちには、解脱会の一部信者も含まれていたと言うから、彼女に人を惹きつける力が合ったことは確かであろうな。

 

息子の結婚にも関与?

 

北川悠仁は高島彩と結婚したが、実はこの時、母・敬子と妻・高島彩との間には深い確執ができていたのでは?という噂があるぞ。

どうやら敬子は高島彩に芸能界を退いてもらい、次期教主にしたいという想いがあったようだ。

しかし高島に激しく拒否され、高島は芸能界引退どころか現役でしっかり働き、CMなどへの出演も増えているようだな。

宗教の問題を家庭や仕事に持ち出されては、高島も黙ってはいられなかったのであろう。

キャリアを積み上げてきた彼女だからこそできたこととも言えるな。

引用元:https://sakigake-tsushin.com/kitagawayuujin-hahaoya/

そんな高島だが、結婚前には訪れていなかった教団の総本山「身曾岐神社」に、第一子を授かったのち、北川と共に訪れているようだぞ。

子どもを関係者に見せて回っていたと言う情報もあるほか、高島効果によってファンはもちろん、それ以外のカップルも訪れるようになり、ここで売られているゆず絵馬の売れ行きにも貢献するなど、結果的に教団の役に立つ形になっているようだな。

それを本人がどう受け止めているかは不明であるが、こうした動きから、高島がついに入信したのではないか、という情報も出たほどである。

夫の実母が教祖となれば、宗教と夫婦生活を完全に断絶することは難しいであろう。

 

宗教につきもののトラブルは?

 

北川敬子は、かむながらのみちを立ち上げたのち、自己啓発セミナー会社を設立。

その後、会社はETLジャパンとして経営されていたが、行われていたセミナーについては問題もあったようだな。

どうやら、信者がセミナーを薦められて受講し、また別の信者にセミナーを薦めるという図式ができあがっていたようである。

そして、セミナー受講者は信者ではない人にも勧誘活動を行い、いわゆるネズミ講のように広めていったと言われているぞ。

しかしこの会社は、受講者が減ったことにより2010年には閉鎖され、現在ではかむながらのみち1本に絞られている。

これだけ見ると宗教を巡るトラブルも多いように思われるが、そうではないようだ。

と言うのも、かむながらのみちは金銭面で余裕があるため、信者から金を搾り取るようなことをする必要がないからである。

引用元:https://oyaziukiukinews.seesaa.net/article/381730824.html

これには、息子の北川悠仁の存在が大きいであろう。

現在、教団の総本山となっている身曾岐神社は、実のところ北川悠仁名義となっており、教団が身曾岐神社を手にすることができたのは、北川の援助があったからだと言われているのだ。

それまでは北川の自宅でほそぼそと営まれていたかむながらのみちが、これによって大きく成長したことは確かと言えよう。

ゆずは大々的な布教活動を行っていないが、身曾岐神社ではゆず絵馬が売られていたり、ゆずのライブが行われていたりと、ファンを引き込むにはうってつけの条件が揃っている。

北川悠仁が教団の広告塔となり得ることは確かな事実で、今後、音楽活動と結婚生活、教団がどのように関与していくのか、気になるところであるな。






















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Posted by jopper