大地真央の宝塚時代の画像は?黒木瞳をお気に入りで推薦?裏話は?
「今野!そこに愛はあるんか?」のCMでおなじみの大地真央。
今やアイフルのイメージが強い大地真央だが宝塚出身の女優だ。
そこで宝塚時代、どんなスターだったのかを詳しく調べてみた。
また黒木瞳のことをお気に入りで相手役に推薦したという話もある。
徹底的に調べてみたぞ。
【目次】
大地真央のプロフィール
まずは大地真央のプロフィールを紹介しよう。
引用元:https://twitter.com/daichimao_staff/status/1342321289415966721
- 本名 森田 真裕美(もりた まゆみ)
- 生年月日 1956年2月5日
- 出身 兵庫県洲本市
- 身長 166 cm
- 血液型 B型
外国航路船長職・陸軍軍人などの経験をもつ父と横浜市出身の母のもと、三人姉妹の末子として出生した大地真央。
洲本市立洲本第二小学校を卒業、洲本市立洲浜中学校に進学した大地真央。
その後、舞台に興味を持ち宝塚音楽学校の受験を決意、数か月の受験レッスンを受け、一発合格した。
そして中学卒業後1971年、宝塚音楽学校に入学したのだ。
大地真央は初舞台を終え月組に配属、新進男役スターとして早くから注目される。
新人公演の主役を多数務め、1980年には当時の月組トップ兼副組長の榛名由梨のもと二番手男役となった。
その後1982年に月組トップスターの座に就いた。
トップスターなので男役ということだな。
相手役すなわちトップ娘役には黒木瞳が就任した。
宝塚歌劇団に入ってからも華麗な経歴を持っている大地真央。
次に宝塚時代について詳しく調べてみたぞ!
大地真央の宝塚時代はどんな風?成績は?
引用元:https://siromama.com/%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E7%9C%9F%E5%A4%AE-2985
数か月の受験レッスンを受け音楽学校に入学した大地真央。
宝塚音楽学校へは49人中42番目の成績で一発合格した。
宝塚音楽学校を受験できるのは中学卒業の年から高校卒業の年までの4年間。
4度のチャンスを何度もトライする人が多い中、一発合格は素晴らしいな。
そして2年間、宝塚音楽学校で芸を学び、1973年に59期生として宝塚歌劇団に入団した。
宝塚入団時の成績は49人中25番だったようだ。
入学時の成績は42番目だったのに卒業時には25番まで順位を上げて大地真央は努力をしたのだろうな。
成績が25番なら半分以下じゃんと思った人はいないだろうか。
大地真央は25番の成績で宝塚歌劇団に入団したが、ここで主席入団したからといって主席が必ずしもトップになれるわけではないのだ。
例えば現在女優として活躍している檀れいは40人中40位という最下位入団でトップになっている人もいるしな。
宝塚出身の大スター天海祐希は、音楽学校は主席で入学し、卒業時、宝塚歌劇団入団時は26番という成績だ。
成績優秀でそのままスターになる人ももちろんいるが、成績はパッとしないがスター性がありどんどん出世する人もいるということだ。
大地真央の相手役は黒木瞳!お気に入りだったって本当?
引用元:https://jmty.jp/tokyo/sale-boo/article-8ue48
プロフィールの項目でも紹介したが、大地真央がトップスターの間、娘役トップに就任したのは黒木瞳だ。
大地真央の宝塚歌劇でのトップ就任は1982年8月1日~1985年9月1日。
黒木瞳のトップ就任も1982年8月1日~1985年9月1日。
つまり同時にトップに就任し、同時に退団しているのだ。
これをヅカファン達は添い遂げ退団と呼んでいるぞ。
宝塚歌劇団では卒業後1年目を研1(研究生1年目)、2年目を研2、という言い方をする。
研7までが新人公演に出演できる、いわば新人扱いなのだ。
黒木瞳は驚きながら、研2でトップの座に就任している。
娘役は速くに就任する人も多いがせいぜい研3での就任、黒木瞳は音楽学校卒業の翌々年にトップになっているのだ。
これは宝塚歌劇団、男役・娘役通じて史上最速でのトップ就任だ。
あの宝塚の女帝、花總まりですら研3でトップ就任だからな。
トップになった理由は、小顔で男役としては細身だった大地真央が同じような体格で度胸ある番組進行をこなしていた黒木瞳に着目し、相手役にしたいと申し出たといわれている。
大地真央と黒木瞳は最強の小顔コンビと言われているしな。
黒木瞳も現在は年を重ねているがめちゃくちゃ綺麗な女優だ。
当時から綺麗なお嬢さんだったのだろう。
大地真央の推薦で歴代最速でトップ就任になったのもうなずけるな。
近頃の宝塚歌劇団では添い遂げ退団が多いように思えるな。
以前は添い遂げ退団をするトップスターは珍しく、実はこの大地真央&黒木瞳コンビが初めて添い遂げ退団をしたコンビなのだ!
では何故黒木瞳は若くして退団を決意し、宝塚初の添い遂げ退団をしてしまったのだろうか。
理由は噂レベルではいろいろ言われているな。
黒木瞳は圧倒的に経験が足りずトップになっているため正直なところ実力もトップ娘役としては伴っていなかったように感じる。
正直、歌など上手とは言えなかった。
そういうこともあり、大地真央の次に就任したトップスターの剣幸が黒木瞳を嫌がったと言われている。
また史上最速でトップスターとなった黒木瞳に対する嫉妬もすごかっただろう。
女の園だ、考えただけでも恐ろしいな。
それで黒木瞳は大地真央と添い遂げ退団をしたと噂されているな。
しかし、女優として大成功をしているし、結果、黒木瞳にとってもよかったことだろう。
大地真央の宝塚時代の活躍は?おすすめ作品の紹介!
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=i8C_gMNRvAk
大地真央は1973年から1985年まで宝塚歌劇団で活躍している。
その中で特におすすめの作品を紹介していこう。
まずは新人公演からだ。
1976年 ベルサイユのばらIII
新人公演で役変わりだがフェルゼンをやっている。
フェルゼンといえばマリーアントワネットの恋人役、もはや王子様だ。
綺麗な顔の大地真央のフェルゼンは見ものだぞ。
1977年 風と共に去りぬ
新人公演でスカーレットの役をしている。
スカーレットといえば娘役の主演だ。
退団後もスカーレット・オハラ役はミュージカルで何度も演じている大地真央。
その原点が見れることだろう。
1979年 ロミオとジュリエット
こちらは本公演ではなく宝塚大劇場の隣にあるバウホールで行った公演だ。
そこで主演のロミオを演じている。
当時、まだトップスターではないのだが、既に月組のスターだった大地真央。
しっかりと主演を務めている!
そんな大地真央のロミオは必見だ!
1982年 情熱のバルセロナ
これが大地真央&黒木瞳トップスターのお披露公演だ。
宝塚といえば大きな羽を背負って大階段をおりてくるイメージを持っている人が多いのではないか。
トップスターが最後に階段をおりてくる、まさに天下人なのだ!
こちらの作品で初めて大地真央が大きな羽を背負う姿を拝見できるぞ。
1984年 ガイズ&ドールズ
ブロードウェイミュージカルで、宝塚でも何度もリピート公演されているガイズ&ドールズ。
その初演が大地真央&黒木瞳コンビなのだ。
ミュージカル・コメディの傑作中の傑作と言われている。
個人的な感想だが、可愛いコンビが演じる項目をいう印象がある。
再演した紫吹淳&映美くららも可愛らしいコンビだった。
コメディミュージカルの傑作を演じる大地真央も意外といい感じだぞ。
1985年 二都物語
退団する1つ前の作品だ。
ガイズ&ドールズに比べ、二都物語は大人な渋い項目だ。
こちらもリピート公演をされている名作だ。
フランス革命を背景に、死刑を宣告され、愛する人の夫の身代わりとなって死刑台の露と消えた若者の、自己犠牲の美しさを謳い上げた作品。虚無的な生き方をしていた弁護士のシドニーはルーシーという娘を知り、生き方を改めようとする。
あらすじを見てもらってもシビアな作品ということが分かるな。
個人的に、大地真央は二都物語で演じていたシドニー役が一番似合っていたと思う。
興味があったら是非見てほしい。
少し話はそれるが、10年に一度行っている宝塚歌劇団の運動会をご存じだろうか。
04年代に開催されるもので2014年に直近では100周年の運動会が開催された。
組対抗となっており、運よく2014年にトップだった人が100周年の運動会の主役として活躍できるのだ。
その70周年時、1984年に月組のトップだったのが大地真央。
そのため70周年の運動会に大地真央も目立つポジションで出席しているのだ。
残念ながら、きちんとした映像は80周年以降のものしか見たことがない。
公式ではないがYouTubeにあがっているものが少々あるので興味があれれば見てみるといいぞ。
本気で運動で対決するタカラジェンヌはだいぶ見ものだ!
まとめ
今回は大地真央の宝塚時代についてくわしく調べてみた。
相手役は黒木瞳、そしてトップ最速就任した理由や、宝塚初の添い遂げ退団について触れてみた。
現在60代の大地真央だが、まだまだ美しすぎる!
今後の活躍に大いに期待だな。
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